2009年06月06日

野球 全日本監督 星野と原の評価

星野ジャパンは北京オリンピックで敗退し、悲願の金メダルどころかメダル獲得すらならなかった。

オリンピック直後から星野監督はその采配ぶりをなじられていたが、星野がテレビ番組にて敗因に選手の精神力を挙げたり、「たたくのは時間が止まった人間だろう」と居直ったり「失敗してチャレンジするのがオレの人生や」等の擦り付けや開き直りとしか受け取れない拙い対応が目立つと、なじりに拍車が掛かった。

星野監督を擁護(というか星野批判に対する批判)している人たちは、パッシングをオリンピックの結果に対する批判と捕らえてしまっている主張が多々見られるのだが、世間のパッシングはこの醜い居直りに対するものである。

むしろ、非を自分に求め、オリンピックという特殊な状況下での自己の采配・コーチ組閣を自己批判し、的確に敗因を分析していれば株は上がっていただろうに、残念ながら釈明に走ってしまった。
これが、現役時代、「まだいけるか」と聞かれて「もう無理」と答えておきながら、投手交代がアナウンスされるとグローブを叩きつけて憤慨した振りをする、いかにも投手向きな性格である星野の限界だろう。

反省が無ければ敗因となった欠点を克服できるわけも無く、再度全日本を率いて国際試合に向かったところで再び惨敗を喫するのは明らかだ。


一方、翌年のWBCでは原監督の下で侍ジャパンが連覇を成し遂げた。
原は
「目に見える相手ならば必ず勝てる」
「紳士たれ」
と当たり前の事をてらいもなく真っ直ぐに主張し、欲を出さずにシンプルに実行していった。

このWBCの結果を受けて、Yahooやgooの掲示板では星野-原を比較した上での星野叩きと星野擁護が咲き乱れた。
その辺りの話。



星野無能論がある。
そもそも、星野が全日本の監督の器ではないという主張は全日本監督就任時から存在していた。
曰く、日本一に一度もなっていないばかりか、日本シリーズ(短期決戦)での勝率が著しく低い事。
オリンピックの結果から言っても失格だという意見は的を射ていたようだ。

翻って、原は中日選手やメジャー選手の出場辞退の中、あれよあれよと優勝を成し遂げた。

両者は戦ったステージこそは異なるが、どちらも万全とは言えない環境の中、片や優勝で片や4位、結果の相違は歴然だった。
この結果を受けて星野無能論は更に強固なものとなった。

が、人間は向き不向きというものがある。
星野が無能だとは思えない。星野には星野の得手がある。
ただ、星野は全日本を率いて短期決戦を指揮する監督には向いていなかっただけの話だ。

原と星野ではタイプが違う。

星野はGM型の監督だ。
中日時代にはジジ転がしの異名を取り、阪神監督就任時には中日の二軍監督に決定していた島野育夫を強奪した。
これはアンチ巨人が巨人の補強を罵る際に用いる『強奪』とは次元が異なる、正真正銘の強奪だ。
江川投手の空白の一日と同等の、違法ではないがルール違反に類する。
が、星野は中日を説得してこの強奪を実現してのけた。神業である。

阪神のチーム補強についても見事な手腕を見せてダメ虎を建て直した。
野村阪神時代には補強を渋って野村監督を嘆かせていたフロントを説き伏せ、伊良部・下柳・金本・片岡・アリアスと大補強を実現させた。
金満補強ではあるが、これは馬鹿みたいに4番をかき集めていた長嶋巨人とは異なり、的確にチームに不足している面を補強していた。
、特に金本・下柳は現在に至るも投打の精神的支柱となっている。

中日監督時代にも、大型トレードを実施してチームを骨組みから作り直していた。
この分析力・交渉力・政治力はプロ野球史上屈指の存在であろう。

また、それだけの大補強しておきながらも金満とは叩かれず、逆に「巨人ファンはあんな補強したチームで勝って嬉しいのか」などとテレビ(SMAP×SMAP)で言ってのけてしまう演出力も大したものだ。
このあたりに対マスコミ・記者への政治力手腕がはっきりと見える。

ただし、作戦参謀の島野強奪の挙に出た事が示すように、星野は戦術作戦面等のグラウンド采配能力は乏しい。
乏しいからこそ横紙破りをやってのけたのである。
また、負けた後の身の処し方を勝負の前に考えてしまうタイプでもある。
このあたりは星野の類まれな政治力の裏返しでもある。

不可解なのは、島野強奪に踏み切るほど己の短所を自覚しているというのに、北京オリンピックのスタッフには作戦面の補佐タイプではなく、アマ時代同級生の山本田淵で組閣した点だ。
結果は見るも無残であった。星野にとって腕の見せ所は、1チーム2選手枠を取っ払ったところのみだった。
大会前の国内ロビー活動だ。

そもそも、国際大会には政治力を発揮する場面というのはあまりないのだ。

また、敗戦後の弁も監督生命に終止符を討ちかねない、パッシングに油を注ぐものばかりで、そこにはかっての演出力は見る影も無かった。
このあたりに、反骨カラーを貫いてきたことによる経験不足から来る逆風の弱さが見られる。


翌年、WBC監督には原が就任した。王前WBC監督の固辞、パッシングによる星野の就任挫折を受けての人事である。

その組閣に篠塚・緒方が入っている点について、一部の人間からは馬鹿の一つ覚えのように「お友達内閣」と非難というか言いがかりをつけていた。
しかし篠塚は先輩、緒方は大後輩であり、同僚または部下ではあっても星野・山本・田淵のような同級ではないし友達でもない。
投手コーチの山田にいたっては大先輩である。

侍ジャパンチームは試合を追うごとに完成度を増していき、結果は見事に優勝。
決勝戦は接戦の様を呈しながらも、その実は一度もリードを許さずに終始追われる展開でしのいだ圧勝であった。


思い返せば、北京オリンピック代表チームとセリーグ選抜チームとの強化試合にて、セ選抜を率いたのが原だ。
原は、世間からは接待試合と目されたこの試合のミーティングにて「全力で行こう」と言ってのけ、真剣で望みオリンピック代表チームを完膚無きまで叩きのめしてのけた。

良くも悪くも空気を読まない原監督は、空気を醸しブレず目立たずにチームを纏め上げていた。
国内最高峰の選手を集めている以上、その選手の力以上のものを引き出す必要などはない、と邪魔をしない采配に徹した感があった。

原は世間から叩かれ慣れている。
自己顕示が強く、空気を読んでしまう星野には出来ない芸当である。


もちろん、原にも短所はある。政治力の欠乏だ。
第一期巨人監督時代には無念の人事異動となり監督の座を追われた。これは星野ではありえない事態だ。
が、その辺りの能力はWBC監督に必要無かった。


全日本の監督に、星野は向いておらず原は向いていたというお話。
タグ:野球 WBC 全日本


posted by 塗りかべ at 12:29 | Comment(0) | TrackBack(0) | 野球
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